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待降節第3主日(A) - 2022/12/10-2022/12/18

2022/12/10 (Sat) 23:33:41

みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?

12/8 無原罪の聖マリアの祭日での、パパ様のお祈りの中で、パパ様が涙される姿に、その思いに、心打たれました。
パパ様に心をあわせて、戦争をいまだに続けている人々のために、被災者の方々のために、戦死された方々のために、ご遺族のために、お祈りします。

そしてパパ様のためにお祈りします。
そしてさらにわたしたち一人ひとりのために祈ります。
神様、どうぞ助けてください。

今週は待降節第3主日。
洗礼者ヨハネがイエズス様のところへ弟子を送って、
「来るべき方は、あなたでしょうか?」と尋ねさせたところでした。

今年はじめて意識したのですが、
この箇所では、洗礼者ヨハネが最終的に、
イエズス様を来るべき方だと確信したかどうかまでは明記されていないことに気が付きました。

わたしたちは最初からイエズス様が神の子であると、
今回のシーンの後から始まる公生活や、教え、十字架上の死を通してあたえられたご復活にいたるまで、
最初から知っている状態からのスタートですから、
洗礼者ヨハネとは全く状況が違うな~と最初思いました。

洗礼者ヨハネは、自分に与えられた使命を悟ったあと、「来るべき方」のために道を整えて準備してはいますが、だれがその「来るべき方」なのかは知らかなったわけです。荒れ野で厳しい生活をしながら、厳しい言葉を使いながら、一生懸命、人々の回心を促しながら、あの荒れ野で待ちわびていたでしょう。
ナザレ出身の大工であるイエズスがやってきたとき、そのイエズスに水の洗礼を授けたとき、天から声が聞こえたとき、そして、牢屋の中でイエズスの行われたことを聞いたとき、「来るべき方」を確信するに至るまでに時間がかかったのかもしれません。

しかし、ふと、わたしたちは最初からイエズス様がだれか知っている、と思っていましたが、本当に「来るべき方」だと確信しているだろうか、と疑問に思いました。自分の全人生をかけて準備しながら待ち焦がれていた救世主だと、わたしたちの罪をゆるしてくださり、罪を肩代わりしてくださるために十字架にかけられて死に打ち勝ち復活された、わたしたちの希望、救い主であると、本当に確信しているだろうか、と。

確信したときには、絶対的な信じる心になっている気がします。
はたしてわたしはどうだろうか、と。

自分の心の深いところで黙想してみたいと思います。

Re: 待降節第3主日(A) - duckbill

2022/12/11 (Sun) 19:14:50

「預言者以上の者である。」

「はっきり言っておく。
およそ女から生まれた者のうち
洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」

まず、こんな言葉をイエス=神から与えられた洗礼者ヨハネとは、なんと幸せな人だろうか、と思いました。


また次のようなことが浮かび上がってきました。
ヨハネは偉大な預言者というより、むしろ、誰よりも神を必要とし、神の約束された救い主を待ち侘びていた人だったのではないかということです。
ヨハネの心の渇きを感じます。神を待つ人、救い主の現れを心から期待し、それだけを人生の目標としていた人。
ヨハネほどこの待降節に相応しい、模範となる人はいないと思います。

Re: 待降節第3主日(A) - kinoko

2022/12/17 (Sat) 20:04:05

duckbillさん、分かち合い、ありがとうございました。
なるほど、ヨハネの心の渇き…
たしかに、一番、心の渇きを自覚して待ち望んでいた人ですよね。

新しい気付きをありがとうございました。

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