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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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王であるキリスト(C) - 2022/11/20-2022/11/27

2022/11/20 (Sun) 06:41:06

みなさん、こんにちは。
今週が、年間の最後の週ですね。
王であるキリストの祭日でもありますが、
みなさんはいかがお過ごしでしたか?

寒くなってきましたので、風邪などひかないようにお気を付けください。

さて、王であるキリスト。
第一朗読はサムエル記から、ダビデがイスラエル全体の王となる箇所。
第二朗読はパウロのコロサイへの手紙から、御父が、御子においてすべてをおつくりになり、教会の頭とし、ただ御子によってわたしたちが神と和解できるようにしてくださったという箇所。
そして福音朗読は、本当の王でありながら、議員たちや兵士たちから嘲られ侮辱されながらも、そばにいた犯罪人の信仰宣言に対するご返答を通して、わたしたちに本当の王として希望を与えてくださった箇所。
でした。

私は昨夜、土曜日夕方のミサにあずかってきたのですが、神父様のお説教の中で、このようなお話がありました。

~みなさんは、王様ってどんなものだと思いますか?この前、何人かに聞いてみると、『偉い人』『支配力を持っている人』『働かなくても民から徴税できる人』『権力をもっていて、軍隊を一言で思うように動かせる人』『法を作れる人』といったイメージを言ってくれました。
この世で人間がなる王様はそんなイメージでしょう。
でも身近でも王様になりたがっている人、王様のようにふるまう人はたくさんいます。
わたしたちの王様はだれですか?
わたしたちの王様はどのような方ですか?
イエス様は王様なのに、十字架上で侮辱を受けます。痛めつけられます。ですが、イエス様がしたことは何ですか?~
といったお話から始まりました。
神父様のお説教で紡がれる言葉の端々から、神様の優しさ、わたしたちの王であるイエス様からあふれてくる愛、そして王様のようにふるまってしまう浅はかで傲慢な自分への恥ずかしさを感じ、優しく諭され、心が洗われ、回心させてくださいました。

個人的に始めた識別月間から約1か月が経ちました。
自分がどんな人間なのか、どのようなものに対してどのように心が反応してどんな対応をしがちなのか、まず、自分というものがどんな人間なのか、というのが少しずつ見えてきました。そしていかに情けない、すぐに傲慢の落とし穴にはまりやすいか、そのために結果として嫌な思いをしょっちゅうしている悪循環も見えてきました。そしてもちろん反省すべきは傲慢だけではなく他にも自分の弱いところがみえてきて、そのうち、告解をしたいと思うようになりました。
この識別月間を通して、神様は私を導いて下さっているんだな、と感じられました。
一応、識別強化月間は一旦終了とするつもりですが、おそらくちょくちょく識別の目をもって自分の心を見つめながら聖霊の働きに敏感に、お導きにそって軌道修正していくことは必要なんだと思います。

すべてを神に感謝しつつ、今週の分かち合いとさせていただきます。


みなさんは、いかがでしたか?

Re: 王であるキリスト(C) - duckbill

2022/11/20 (Sun) 11:11:24

kinoko さんの分かち合い、識別することは良いことだと思いました。ありのままの自分を見つめることは、「どうせわたしはこんな人間ですから〜」というような見えているようで見えていない、実は思い込みであったり、開き直りであったり、というレベルではないですよね。

ということで、ちょっとやってみます。
今日は十字架につけられたイエスを見ている自分の心を見つめてみようと思いました。正直、まず恐怖心が湧き上がります。もし自分もあんなふうになったら…この反応は考えてみると、3度イエスを知らない
と否んだペトロのに似ています。これは痛みや死を恐れる普通の人間の心境ですよね。出来ることなら、痛みや苦しみなく平凡でも安らかな人生を送りたいと願っている自分を発見しました。
理屈では十字架は神の愛のあらわれ、とか、人と神の和解などと解っているのですが、心は弱いものです。やはり痛みと死は避けたい、コレが本音のようです。
最近ロザリオの苦しみの神秘を祈っていた時に、一つ一つの神秘を黙想していて、恐怖、痛み、屈辱、死への苦しい最後の時、そして死…これら5つの場面ごとにイエスのそばに駆け寄り、寄りすがっている自分を体験しました。イエスは私たちが味わう、いずれ味わうであろう全ての痛み苦しみを自ら味わっています。その時にイエスを慰めるどころか、そのイエスに頼っている自分の発見。
イエスは十字架の道行で、「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」と言われました。まさにわたしはその通り、自分のために泣き苦しみ、そしてイエスに頼っていました。
イエスは連れて行ってくれます。最後まで寄り添って、手を離さず、こんなに弱い自分でも、たとえ恐れていても、必要な助けを与えながら、必要ならわたしを変えながら、イエスの御国まで連れて行って下さいます。
自分の弱さを知れば知るほど、イエスに頼っている自分と、イエスがもたらす希望の光を見いだすことができるのかもしれませんね。

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