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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第23主日(C) - 2022/09/03-2022/09/11

2022/09/03 (Sat) 08:14:05

みなさん、こんにちは!
いかがお過ごしですか?

台風が近づいてきました。
台風通過経路、周囲の地域のみなさまはどうぞ十分な準備をした上でご注意ください。

さて、今週は年間第23主日です。
福音書では、さらっと読むと「え?」と思ってしまうような、イエズス様の厳しい言葉があります。

弟子の条件についてお話されるところで、
『父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
 更に自分の命であろうとも、
 これを憎まないなら、
 わたしの弟子ではありえない。』
という箇所です。
聖書と典礼の注釈では、この「憎む」という言葉は、「より少なく愛する」という意味だそうです。
そして、パパ様のお説教の中で、
「弟子となるための条件とは、
 イエスの愛のほかは何ものも優先しないこと、
 自分の十字架を担って、イエスに従うことです。」
と教えてくれていました。

私自身のことをいえば、
あまりにも多くのしがらみに囚われすぎていて
傲慢にもなるし、イエスの愛以外のものを優先している状態だと思います。

自分の心や思考回路などを一旦ここで
スクリーニングして、洗浄して、正しい方向へ
改めていきたいと思います。


みなさんは、いかがでしたか?

Re: 年間第23主日(C) - duckbill

2022/09/10 (Sat) 09:53:06

だから、同じように、


自分の持ち物を一切捨てないならば


あなたがたのだれ一人として


わたしの弟子ではありえない。」



この前のたとえ話がすごいです。建築費用や戦争の勝敗の見積りと同じように考えてみよ、というのですからとても具体的ですよね。自分の持ち物一切を捨てるというのが、それらに相当する条件となるということです。ただ持ち物と言っても物理的なものだけではなく、家族への情も含まれています。多分そうなると自分自身も含まれているのかもしれません。憎むとありますけど、それは翻訳の問題らしいので実際はイエスより愛してはならないということらしいですね。考えてみるとイエスを愛するということは他者を無条件に愛することと切り離せないので、意味は深いです。
個人的な体験に照らして考えてみました。自分にとって最も大切な人を失った時、この世界の全てが虚しく見えました。物には価値がなく、金にも価値はない、それらのものがあっても心は満たされない、と感じました。ある意味本来の価値が見えたのかもしれません。

イエスとは何でしょう?イエスは道、真理、命です。特にここでは命に注目しました。命より大事なものはありません。その命は人知を超える愛そのものでもあります。命と取引できるものなど、本当は何もありません。イエスを何よりも愛するとは命を愛することであり、神の愛を愛することです。自分を含めた全てを捨ててもその価値に相応するものではありません。
神と対面する時、自分の命を含む全てを捧げますと言わざるを得ません。それでもまったく足りないとわかりながらも、他に差し出せるものがないからです。

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