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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第2主日(A) - 2017/01/14ー2017/01/20

2017/01/14 (Sat) 09:53:44

ご訪問ありがとうございます

今週の聖書から
何かメッセージを見つけましたか
心を開いて聖書を読んで
考えたこと、黙想したことを
分かち合っていただけると幸いです
どなたでも大歓迎ですので
ご自由にご参加ください


今週の投稿期間
1月14日(土)~1月20日(金)

Re: 年間第2主日(A) - duckbill

2017/01/14 (Sat) 11:57:43

水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、


『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、


その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』



水による洗礼と霊による洗礼の大きな違い。

水による洗礼は人間のわざですが
霊による洗礼は神のわざだったのだー
という違いに今更ながらハッとさせられました。

Re: 年間第2主日(A) - kinoko

2017/01/15 (Sun) 11:25:31

今までは、聖書を読んで、心に残った箇所をあたためながら
でもそれを言葉にするのが難しく。。。ということは何度もあったんですが

今回は、聖書を読んでもまったく何も思い浮かばず。
ミサの前にゆっくり何度読んでもやっぱり、特に心に残る言葉や目に留まる箇所があるわけではなく、読み終わっても、なんだか頭が空っぽでボーッとしてました。

でもお説教を聞いて、いろいろと新しいことに気付かされました!


今日は私が今回、実家の近くの教会で聞いてきたお説教をメインに書いてみたいと思います。

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まずお説教を始める前に、少しロールプレイングをします、と神父様がおっしゃいました。
侍者をしていた子供3人が祭壇の前に並びました。
神父様は右端の子供と真中の子供に何かを渡しました。
そして右端の子供は、渡されたものを食べました。
(食べ物だったようです)
真中の子供は、同じ食べ物を渡されましたが、手に持っているだけで食べませんでした。
そして左端の子供は何も渡されませんでした。

ここで、神父様はロールプレイングの説明を始めました。
右端の子供は、もらったものが何であるかを知って、実際に口に入れて、味わい、また同じものが欲しいと思うかもしれません。
真中の子供は、同じものをもらって、それが何かを見て知りましたが、食べていないのでどんな味なのかは分かりません。
これは、私達が洗礼を受けて、生きていく様子と似ています。

話は変わりますが、私が日本語の勉強会に行っていた時に、1人の中国人に出会いました。その人はキリスト教のことを知っていました。私が神父であることをいうと、その中国人は質問をしてきました。
「死ぬ直前に洗礼を受けたら、天国に行けますか?」
私は「死ぬ直前でも、イエスを救い主キリスト、神の子と信じて洗礼を受けたら、もちろん天国に行けますよ。」と答えました。
そうするとその中国人は次にこんな質問をしてきました。
「そしたら、何も早くに洗礼を受けずに、みんな死ぬ前に洗礼を受けた方がいいんじゃないですか」と。

確かに、自由に生きてきて、死ぬ直前に洗礼を受けて天国に行った方が、生まれてすぐ、あるいは大人になって洗礼を受けた人たちと違って、毎週末、ゆっくりしたいときに教会に行かなくていいわけです。しかし、それだともったいないです。
死ぬ直前に洗礼を受けた人たちは、洗礼は受けましたが、洗礼を受けて神様と関わっていくこと、それを味わうことができないわけです。
真中の子供のように、アメはもらいましたが、持っているだけで味わってはいないんです。
しかし、右側の子供のように、アメをもらって、更に味わうこと、それが洗礼を受けて、神様と関わっていくこと、関わり合っていく状態を示しています。

私達もただ洗礼を受けただけではなくて、神様との関わり合いを味わいながら信仰生活を送っていきましょう。

そして、左端の子供にも同じアメを渡して、(右端の子供はほっぺたを膨らましたまま)席に戻っていきました。

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ほんとはもう一つ、洗礼者ヨハネの話も入っていたのですが、私の理解を超えていたので、ここでは割愛させて頂きました(^^;

最初は、御聖体拝領前なのにアメちゃん食べて良いのかなぁ〜なんて
ちょっと思ったりしながら、ロールプレイング見ていたのですが、
お説教を聞いて、ものすごく納得できましたし、分かりやすかったです。
ほんとに、洗礼を受けただけで、仕事だから・・・と教会をさぼってしまうこともある私ですが、日常生活の中で、神様と関わり合いながら、その関わりを味わいながら、神様のイニシアティブに任せて生きていきたいな、と思いました。

Re: 年間第2主日(A) ひるた

2017/01/17 (Tue) 19:53:52


わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。ヨハネによる福音1章31節


これは洗礼者ヨハネの言葉である。この方とはもちろんイエス・キリストのことである。洗礼者、もしくは先駆者ヨハネは、自分の使命をはっきりと自覚していた。つまり、自分が水で洗礼を授けに来たのは「この方がイスラエルに現れるため」であると。

してみると先駆者ヨハネがいなかったら、イエスはイスラエルに現れることがおできにならなかった。マリアの「はい」がなかったら、救い主イエスの誕生もなかったように。

つらつら考うるに、何も先駆者ヨハネやマリアばかりではない。私たち一人ひとりも神のご計画に協力し、参与するよう招かれている。神のご計画とはイエス・キリストによって全人類を救うという遠大なご計画である。

ヨハネは自分の使命をはっきりと自覚していた、と書いたが、「わたしはこの方を知らなかった」と二度までも言う。イエスが自分の方へ来られるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言っているのに。なぜ。

ヨハネは予(かね)て告げられていたように、聖霊が鳩のように天から降ってこの方の上にとどまるのを見たので、この方こそ神の子であると証ししたのだった。

イエスを身ごもったマリアが親類のエリサべトの家に行って挨拶したとき、胎内の子ヨハネは喜びおどったのに、なぜ「この方を知らなかった」のだろうか。

私たちキリスト者も、一人ひとり、イエス・キリストが神の子であると証しするよう招かれている。

私はどのように証ししたらよいだろうか。私たちは周りの人たちにどのように証ししていくことができるだろうか。

今日の福音は、そのことを問いかけているように思う。


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