年間第25主日(A) - 2020/9/19-2020/9/26
2020/09/19 (Sat) 13:08:08
ご訪問ありがとうございます
今週は年間第25主日の聖書朗読箇所です。
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別ページで今週の箇所が読めます
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聖書に親しむことが重要です。
聖書を繰り返し読んで、
その箇所について深く考え、
それを自分のものにしてください。
聖書には神のことばが記されています。
聖書のことばはつねにタイムリーで有効です。
-教皇フランシスコ
「聖書を知らないことは、キリストを知らないことです」。
だからキリスト信者が皆、聖書によって示される神のことばに触れ、
神のことばと個人的に対話しながら生活することが重要なのです。
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まず、この対話は本当の意味で個人的なものでなければなりません。
なぜなら神は聖書を通じてわたしたち一人ひとりに語りかけるからです。
神には一人ひとりに告げたいことがあるからです。
聖書を過去のことばとしてではなく、わたしたちにも語りかけていることばとして読まなければなりません。
そして、主がわたしたちに何を語ろうとしているか理解しようと努めなければなりません。
-ベネディクト16世
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今週の聖書を読み、神様に祈って
心に浮かんだことや考えたこと、
疑問に思ったことなどを
一緒に分かち合いませんか
今週の投稿期間
9月19日(土)~9月26日(土)
Re: 年間第25主日(A) - kinoko
2020/09/20 (Sun) 23:43:01
今週もまた有名な箇所でしたが、今回は主任神父様のお説教の中に新しい発見がありました。
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最初に雇われた人は損をして、最後に雇われた人が得している、
果たして、本当にそうでしょうか?
仕事がなくて、その日一日、家族に食べ物を食べさせられるように
みんな朝早くから仕事を探しに出かけていった。
最初に雇われた人は、朝一番に雇われて仕事が見つかり、
「あ〜今日一日は家族に食べさせられる、大丈夫だ。良かった」と安心してその日一日過ごすことができた。
だけれども、最後に雇われた人は一日中仕事を探していたけれども
『だれも雇ってくれな』かった。
仕事が見つからず、あ〜今日は家族に食べ物を買って帰れない、
ひもじい思いをさせてしまう、と一日中心配したり、落胆していたでしょう。
一日中仕事が見つからないことで、自己評価も下がり自信がなくなっていたかもしれません。
そんな人を見て、憐れに思い、救いの手を差し伸べて下さる。
天国はそんな国なんです、と。
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まさに、
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なる」
「わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いはあなたたちの思いを
高く超えている」
だなぁ〜と。
そして、
「主を尋ね求めよ、」
「主に立ち返るならば、主は憐れんでくださる」
なんだなぁ〜と。
わたしたち ちっぽけで 自然の力を前にして非力な人間が
なんとか頑張って受け継いでいるこの評価社会の常識なんて
そういうことか、と思いました。
自分を棚に上げた評価を元に、時に教育という言葉を盾に必要以上の非難・批評をしながら社会を、組織を回しているつもりになったり、
中には純粋な真実・真理の探究をまっすぐ突き進める人もいると思いますが
おおかたエゴが入り込んで曲がっていく道を歩んでいる人もいたり、
わたしもたいていそちらの道ばかりですが(情けないことに・・・反省)、
でも神様の見方は全然異なって、
心をみていらっしゃる、そして深い憐れみのまなざしでみつめてくださっている。
当たり前だけど、全然違う。。。
「神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる」
律法学者だったかファリサイ派だったか、
教会の前の方で自画自賛して自分を見失ってる人と
教会の後ろの方で胸をうちながら回心している人の話が
思い浮かんできました。
神様はとても優しく憐れみ深い方。
気付いたときはいつも主に立ち帰りたいなと思いました。
Re: 年間第25主日(A) - duckbill
2020/09/23 (Wed) 13:26:27
今失業中の人や、就活中の人ならよく分かると思いますが、
何度応募しても、面接や試験を受けても受からない・・・
どこにも働き口が見つからない、という人は収入源が断たれる不安と同時に
自分自身が社会から拒絶されたような絶望感を味わいます。
打ちひしがれうなだれて、もう諦めかけていたちょうどその時、
雇ってくれる所が見つかったら、それはもう本当に救われた、良かった!と
スムースに事が運び雇用にありつけた人と比べて喜びの大きさが違うでしょう。
しかも、もうこうなったらどんな安い賃金でもしかたない、多少待遇が悪くても職がないよりはましだ
と考えていたのに、他の人と変わらない賃金を貰え、労働条件も他の人より良かったら・・・
今回はこのように譬え話の最後に雇われた人の立場から見てみました。
現実の社会ではそんなうまい話ありえないですよね。
あったとしても何か裏がありそうで怖いです。
その人にはどんな事情があったのでしょうか?
養わなければならない家族があり、ひょっとしたら
その人自身、長時間働けないような健康状態ではなかったかもしれない。
それでも少しでもお金を稼いで生きていかなければならない・・・といった
事情があったかも?しれないのです。そんなことはわたしたちには分かりません。
神様だけがご存じです。神様の目は弱い立場の人、病気の人、苦しむ人に特別に
向けられ憐みの手を差し伸べておられることは福音書のあちらこちらに書いてあります。
リジューのテレーズが言っています。
「神の裁きは憐みです。」
今、苦しい人、病気の人、何かつらい思いをしている人は、
神様のまなざしが特別に愛情深く注がれ、必ず他の人よりも大きな喜びが与えられる時が来ると信じて下さい。