年間第7主日(A) - 2020/2/22-2020/2/28
2020/02/22 (Sat) 15:58:41
ご訪問ありがとうございます
今週は「年間第7主日」です。
聖書の中で目に留まった言葉や句
はありましたか?
少し黙想したり祈ったあと
浮かんできたことを書いてみませんか
どんなことでも気楽にどうぞ
ご参加お待ちしています!(*^▽^*)/
今週の投稿期間
2月22日(土)~2月28日(金)
Re: 年間第7主日(A) - duckbill
2020/02/27 (Thu) 21:14:27
ついにしばらく公開ミサが中止という悲しい事態が発生しました。まさかこんな事が起こるとは思ってもみませんでした。福岡司教区では使徒座管理者の杉原神父様から次のようなメッセージを頂きました。
「ミサに与れない痛み、苦しみは、とても大きなものです。しかし感染症で苦しむ方々をキリストと同じ眼差しで見つめ、個人として信仰共同体として、犠牲をもって四旬節を歩み始めましょう。」
これを読んでそうだよね、と思いながらも目に涙が…
聖なるミサ、御聖体を命綱にすがるように拝領してきた者としては大きな不安をともなう四旬節になりそうだと思ったからです。
御聖体なしで自分は大丈夫だろうか?
不安と飢え渇きをなんとか少しでも和らげたいと、年間第7主日の聖書と典礼をもう一度丁寧に読んでみました。
まず次の箇所が目に留まりました。
「世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも、一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」
しばらく味わっているとヨハネ14:23が浮かんできました。
「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」
そうか!御聖体はイエス、神の偉大な愛そのもの、神は創造主で全てが神に属している!つまり御聖体を拝領して神の愛、全てを自分の中にお迎えしていたのだった。イエスの言葉を守り愛するなら、神とイエスは私のところに来て一緒に住んでくださる、ということは聖体拝領と同じことになるのではないか?だから御聖体をいただけない今はイエスの言葉を守ることによって聖体拝領の恵みを頂くことになるのかも…と気づきました。
イエスの言葉とは愛の掟です。全ての行為は愛がなければ無に等しい、でも自分にはとてもじゃないが難しいと挫けそうなくらい困難な時もあります。それでもイエスの愛の道を歩み続けたいという望みが心にあるなら、その時点ですぐに秘蹟を超えてすべてに及ぶ神の力が助けに来て下さると信じています。
御聖体なしでの四旬節の始まりは真剣勝負を突きつけられているような気がします。言葉だけではなく愛の行いを通して霊的に拝領しなさい、と言われているようです。とにかく自分にできる小さなことを大切に始めてみたいと思います。
そして
「神のおきてを喜び、心に教えをとめる人、神はその人を祝される。」
という典礼聖歌42番のように、喜びながら歩めたら…と願います。その努力の傍にはイエスが伴ってくださっているから。
なんだか書いているうちに元気になってきました(笑)