KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉 225999


待降節第1主日(A)

1:2019/11/30-2019/12/6 :

2019/11/30 (Sat) 15:25:22

ご訪問ありがとうございます

いよいよ待降節ですねー
クリスマスまで一緒に
聖書を読みながら準備していきませんか
目に留まった言葉や句について
少し黙想したり祈ったあと
浮かんできたことを分かち合って下さい
どんなことでも気楽にどうぞ

ご参加をお待ちしています!(*^▽^*)/


今週の投稿期間
11月30日(土)~12月6日(金)
2:幼な子 :

2019/12/03 (Tue) 19:26:12

マタイによる福音書 17 21

しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない。
3:管理人 :

2019/12/03 (Tue) 19:34:05

幼な子さん、はじめまして!

ご投稿ありがとうございました
ただお願いとして、ここでは
今週のミサの聖書朗読箇所から
み言葉をピックアップしていただくことに
しています。

このページの上にある
〔今週の聖書→ココをクリック〕
から聖書を読んで何か分かち合って
いただけたらと思います。
今回もう一度でも次回からでも
どうぞよろしくお願い致します

4:duckbill :

2019/12/06 (Fri) 18:20:16

久しぶりに分かち合いに参加します。

今週の福音で、イエスは目を覚ましていなさい。用意していなさい。と警告しています。
この突然の訪れの時について、福音を信じる良い人が取られ、信じない人は残ると解釈する人がいますが、聖書には取られるのが良い人なのか悪い人なのかについては書かれていません。
「時」については次の3つの場合が考えられるそうです。
1 イエスの時代におとずれる艱難と裁きの時
2 イエスの再臨の時
3 それぞれの死に際して受ける裁きの時


1はすでに過去の事で2は自分が生きている時に来るかどうかわかりません。しかし3は必ず体験します。だから自分が死ぬ時のことを念頭において目を覚ましている、用意しているということがどういうことなのか考えてみます。すぐに思いついたのは心を清めておくということです。
もちろん自力では難しいことです。それでもせめてそうなりたいと
目標に掲げることはできます。そうすれば「心の清い人になりたい」と毎日祈るようになるはずです。
パウロの手紙には具体的にあります。
「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、
主イエス・キリストを身にまといなさい。」
特に他者を批判し、攻撃し、妬む。
最近のツイッターを見るとこういう人が多いのでうんざりします。
キリスト者でさえ、悪ぶったり、世間ずれしていることが良い事かのように開き直って堂々と他者批判をして・・・
自分の闇は消せなくても、言葉を制御することはできるのに・・・
とまあ、愚痴っぽくなりましたが
でも本当に思うんですが、人は死を前にしたら誰でも
善人になっていくんじゃないかと。
でもイエスはその「時」を教えていないんですよね。
その上で目を覚ましていなさいと言っています。
つまり死の直前に至るまえから、元気な時から
目を覚まし用意していなさいということなんでしょうか

パパ様の来日にちなんで、殉教者について考える時間を
持てましたが、殉教者たちはこの世の望みをすっかり捨て、
イエスがもたらした永遠の命、復活を信頼しきっていました。
「死」というと終わりをイメージしますが彼らは
喜びの始まりだと信じる恵みをいただいていたのでしょうね。
人は死を意識した時、この世の価値観の縛りから解放されて、争いや妬みなど一瞬にして消え去ってしまい、
清い心を持って新しい始まりに希望を置くことができると
思います。
つまり、目を覚ましている、用意している、というのは
この世のことで心を一杯にしてしまわず
いずれ確実に訪れる死を絶えず意識しながら同時に復活の希望をもって生きていくことなのかなと思いました。

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