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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第28主日(C) - 2019/10/12-2019/10/18

2019/10/11 (Fri) 17:37:18

ご訪問ありがとうございます


聖書を読んで目に留まった言葉や句について
少し黙想したり祈ったあと
浮かんできたことを書いてみませんか

ご参加をお待ちしています!(*^▽^*)/


今週の投稿期間
10月12日(土)~10月18日(金)

Re: 年間第28主日(C) - duckbill

2019/10/18 (Fri) 10:21:19

今週の聖書を読んでいると
自分が神様と繋がっている時と離れている時の
両方について考えました。
いつも神様と繋がっているだろうか?
と聞かれると「いいえ、時々離れています。」です。悲しいことに。。。
聖書に絶えず祈りなさい、という言葉がありますが、
絶えず(24/7)祈りの言葉を唱え続けることは不可能ですから
それは神様と繋がっていることを絶えず意識する
ということではないでしょうか。
ではどうしたら神様を絶えず意識することが
できるか考えてみました。
仕事中は仕事に集中しますが、
神様と繋がっていることを仕事の初めとちょっとした合間や
仕事の終わりに意識することはできます。
そして当たり前と思っている様々なことに対して
頻繁に神に感謝する。
人との関係にも、目に映る自然の美しさにも、音楽にも、
読書にも、仕事だけではなく娯楽にも…すべてに関して
神様の存在を意識し感謝しながら暮らすことはできます。
しかしそれを時々忘れています。
今週の福音では病気を癒してもらったのに
願いが叶うまでは全身全霊神様の方を向いていたのに
いざ願い通り癒されてみると、感謝することさえ
忘れている人が90%だと書かれていました。
それはそっくりそのまま自分の人生における
神様との関係を思い出させます。

神と絶えず繋がっている状態とはどのようなものでしょうか。
最高のヒントは聖母マリアから教えられます。
聖書でマリアについて書かれていることはわずかですが、
それでもマリアの神様にたいする姿勢がうかがえます。
1人の人間として、女性として、母として、弟子として・・・
マリアの一点の曇りもない神に対する信頼は
それだけで絶え間ない祈り、神への感謝、
賛美となっているように思います。
神様にたいする全き信頼の気持ちが
神様と絶えず繋がっていることになるのかもしれません。

苦しい時には神さまによく祈りますが、
神に対する信頼が深ければ深いほど
願いの結果にかかわらず信頼に揺らぎが生じません。
神における希望が失われることがないからだと思います。

病の治癒だけが目的で祈っていたのなら
それが達成さえすればそれだけで満足なのですから。
神への感謝をよそに自分の病が治ったことだけを喜ぶでしょう。
しかし、福音書の中で病が癒されてイエスのところへ来た人は
病気が治った喜びだけではなく、
それ以上に神様と自分がしっかり繋がったことに気づき、
それを喜び踊ったのではないかと思えてきました。

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