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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第23主日(C) - 2019/9/7-2019/9/13

2019/09/07 (Sat) 18:19:27

ご訪問ありがとうございます


聖書を読んで目に留まった言葉や句について
少し黙想したり祈ったあと
浮かんできたことを書いてみませんか
聖書は解釈を読んで納得するだけじゃ勿体ないです
神様は聖書を通して
あなたの心をどのように動かしましたか?
キリスト者だけではなくどなたでも
どんなことでも自由にお書きください

ご参加をお待ちしています!(*^▽^*)/


今週の投稿期間
9月7日(土)~9月13日(金)

Re: 年間第23主日(C) - テレジア

2019/09/08 (Sun) 23:04:10

わたしは第一朗読全体が心に残りました。

「こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、


人はあなたの望まれることを学ぶようになり、


知恵によって救われたのです。」


また、福音のすすめを読むと
現在の私の考え方は間違えていることが分かりました。
生き方を示されている気がしました。
難しく大変なことだとは思います。
ついつい自分の幸せになるようにいくような気がしますし、それはちょっと間違えているのかなと思います。

Re: 年間第23主日(C) - 管理人

2019/09/09 (Mon) 06:18:34

テレジアさん、ご投稿ありがとうございました!

Re: 年間第23主日(C) - duckbill

2019/09/13 (Fri) 20:44:42

十字架とは苦しみの象徴です。
苦しみのない人生なんてないわけですから
みんな十字架を担いで生きていますよね。
じゃあ十字架を担ってイエスに従うとはどういうことなんでしょうか?
苦しい時は自分のことで精いっぱい。他に目が向きません。
その時はそこから抜け出そうとあれこれ画策したり
願いが何とか叶うように神に祈ります。
それがイエスに従うことでしょうか?
いろいろと考えてみましたが、
キリスト者の苦しみに対する姿勢は
キリストの受難を黙想しながら行なうカトリックの信心業、
「十字架の道行」が大きなヒントになるのかなと思いました。
どこのカトリック教会に行っても
お御堂の壁の両側には
イエスの受難と十字架の死までの
14場面の御絵が掛けられていますが
道行はその場面を一つずつ黙想しながら祈ります。

一生のうちに担う十字架には小さなものから
大きなものまであります。
毎日感じる十字架は利己主義、わがままとの闘いでもあります。
不愉快なことやいろんなトラブルもあります。
すぐに解決しないことでも落胆、気落ちした状態に留まらず、
イエスの苦しみを黙想していると、
それが自分の苦しみとオーバーラップしてきます。
肉体的、精神的な苦しみ、あらゆる苦しみがそこに見えてきます。
そして優しいイエスがわたしたちの苦しい状況に
伴ってくれているのではないかと思えてきます。
苦しい時にも他者に思いやりの心を忘れないこと、
神への信頼を失わないこと、
自分の過ちを悔いて神に許しを願うこと…
そういう超難関も、自分だけではなく
イエスが助けて下さることを体験し、
イエスの存在がますます身近に感じられます。
一生は休息を挟みながらも苦しいことが連綿と続いていきますが、
いよいよ最後に息を引き取る時、今まで担ってきた十字架の中で
最大の十字架を担う時、
死を味わって下さったイエスに顔を向けると、
暗闇の向こう側に
希望の光を示してくださるのではないかと思います。


十字架にちなんだリマの聖ローズの言葉を見つけました。

「十字架のほかに、天に上るはしごはありません。」

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