復活節第6主日(C) - 2019/5/25-2019/5/31
2019/05/25 (Sat) 10:59:35
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5月25日(土)~5月31日(金)
Re: 復活節第6主日(C) - duckbill
2019/05/30 (Thu) 21:44:34
今夜は疲れているのでまとまりませんが、
今週の福音を読んで思ったことを書いてみます。
神とイエスが共に来て一緒に住んで下さる、
あまりにも凄すぎて、想像もできません。
家ではなく、自分の所に来て下さるということですが、
自分の所とはどこなんだろうか?と疑問に思いました。
心なのか?体なのか?意識の中なのか?
考えてもわからないし、答えがあるのかも
分からないのでここでやめますが…
一つ体験したことを分かち合いたいと思います。
人は誰でも、できる限りの努力をし尽くして、
もう限界というところ、かなり苦しいところに達することが
生きていれば何度かありますよね。多分。
そんな時には息をするのがやっとです。
かつて苦しくてたまらなかった時、「神はあなたを愛している」
ということにすべてを賭けて、
「神様、あなたの愛で抱きしめ、癒し、
この苦しみから助け出して下さい。」
と、あたかも神様が自分を抱きしめているかのように
自分の腕で自分を抱きしめながら祈ったことがありました。
耐えがたいほど苦しかった時に何度かこのようにして祈りました。
だからと言って、神様の愛に抱かれていることを感じ、
すぐさま苦しみが消えたわけではありませんでした。
が、そのうち、「助けて下さい」という祈りが消えて、
「神に感謝」という意外な言葉が浮かんできたのです。
そして一歩一歩踏み出すように、苦しさを背負いながらですが
一日に何度も「神に感謝」と、口先ではなく感謝の気持ちを持って
心の中で繰り返していました。
不思議な体験でした。
なんで苦しいのに「神に感謝」なんだ!
と、怒り出す人もいるでしょう。
しかしそのうち苦しみは徐々に和らいで行き、状況に変化はなくても
心は平安を得ることができました。
自分自身、理屈では理解できないことでしたが、
今週の福音を読んで、「神が一緒に住んでいる」ことは
このようにして分かるのかもしれない、と、
この体験から思いました。
もしかしたら、あの言葉は自分から出た思いではなく、
神が一緒に住んでいるところから出てきたのかもしれない・・・
また、
他の人の苦しみに心からの同情を寄せ、助けたいという思いも
実は自分独りの思いではなく共に住んでいる神の思いなのかも
しれない、と思いました。
自分の中に神様を真剣に探すなら、
感情でも理屈でも理解できない不思議な何かで
神様は共にいることを教えて下さるのかもしれません。