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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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復活節第3主日(C) - 2019/5/4-2019/5/10

2019/05/04 (Sat) 14:17:43

ご訪問ありがとうございます。


聖書を読んで目に留まった言葉や句について
少し黙想したり祈ったあと
浮かんできたことを書いてみませんか
どんなことでも気にせずにどうぞ

ご参加をお待ちしています!(*^▽^*)/


今週の投稿期間
5月4日(土)~5月10日(金)

Re: 復活節第3主日(C) - duckbill

2019/05/10 (Fri) 20:47:10

「愛する」は「恋する」と違って難しいことです。
恋は落ちると言いますが愛は育むと言います。
言葉はともかくとして、一生のうちどれくらい
愛することができるか?今までにどれくらい愛してきたか?
と考えると深く愛してこなかった自分が見えてきます。
心のある部分に自分を守ろうとする壁が
あるような気がします。
大人になるにつれ、互いの距離を大事にして付き合うとか
親しき仲にも礼儀あり、といった一種の作法を身に着けないと
上手くいかないことが分かってきて、
人付き合いの達人にはなったとしても、ますます
本当に愛することからはある意味、遠ざかっていくような気がします。

連休中に「スタンド・バイ・ミー」という昔の映画を見ました。
4人の少年たちの平凡な日常と友情を描いたものでしたが
一番印象的だったのは、その中の二人が互いに自分の
弱みをさらけだし、受け入れ、支え合うシーンでした。
自分の優れたところや強さを誇張して表に出したがるのが普通なのに、
プライドを捨てて自分の辛さ、弱さ、カッコ悪さを
打ち明けて相手の前で泣く姿さえ見せるほどの関係でした。
相手を心から信頼していたからこそできたことかもしれません。
それほどの信頼は子供だったからかな~
少年時代の一時期の付き合いなので、成長するに連れ
疎遠になっていく運命ではありましたが、
一時期であってもそういう体験をしたことが
大人になった後も心に残り、
友愛の喜びを味わい続けることができたのです。
子供のころにそんな体験を持てた人は幸せですね。

そのような子供時代の友情でさえ人の心に深い喜びの痕跡を残します。
ではイエスの愛は?
イエスは、無条件の愛、自分の命を相手のために捨てる程の
最高レベルの神の愛でペトロを愛し、私を愛し、あなたを愛しています。
そのイエスがたずねています。
「わたしを愛しているか?」
愛は一方的に愛するだけではなく互いに愛し合うことによって
真価を発揮し、喜びは無限に増大していきます。
その喜びをイエスは分かち合おうと、教えようとしておられると思いました。

しかし貧弱な愛しか持ち合わせない人間。
それでも愛したいという欲求も希望もある人間。
神=愛がお造りになった被造物である人間は、
愛が土台であるためか愛の引力に絶えず引っ張られていながらも
利己的な思いでなかなか愛の核に飛び込んでいけません。
愛があまりにも不完全なので、愛の行いをしても
心には別の何かが潜んでいます。
何度努力しても「あの愛」に達することができません。
完全に愛したいのに愛せないという悲しい状態です。
今は神の恵みに希望を置いて、イエスの愛に
愛で応える至福の喜びを味わう日を待ち望みながら・・・



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