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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第31主日(B) - 2018/11/3-2018/11/9

2018/11/03 (Sat) 12:07:48

みなさん、こんにちは!
木々が色づき始め、これから紅葉を楽しめる時期になってきましたね

だんだん、待降節が近づいて来たことになります

さて、今週の聖書はいかがでしたでしょうか?
読み慣れた箇所かもしれませんが、
わたし個人の意見としては、
いつもはっとさせられる箇所でもあります。

みなさんの分かち合いを楽しみにしております
どしどしお書きくださいませ


書き込み期間
2018/11/3 〜 2018/11/9

Re: 年間第31主日(B) - duckbill

2018/11/08 (Thu) 21:27:04

紅葉が美しい季節になりましたが、
なかなか本格的に紅葉が美しい所(遠い所)まで
出かけて行けないので、ツイッターで皆さんの写真とか、
街路樹の紅葉を見て楽しんでいます。

さて、今週はイエスが教えてくれた
もっとも大切な掟について考えてみました。

神を愛することと隣人を愛することは
どちらか一つが足りなくても完全ではない、
切っても切れない、二つ揃って一つのものだと聞いています。
神を愛していると口で言うことは簡単だし、
たとえ聖書を読んだり信心業に熱心であっても
兄弟を愛することに比べれば
それはまだまだ簡単なことと言えるかもしれません。

神を愛すること=神の掟を守ること、ならば
隣人愛は必ず実行しなければならないことになります。

ところで隣人を愛するというと、
難民キャンプなど本当に困難な状況にある人達の所
に行って奉仕活動することがすぐに頭に浮かびますが、
それも信念を持った人など機が熟せば
できないことでもないと思いました。
むしろ難しいのは遠くの見知らぬ人より
よく知っている身近な人を愛することかもしれないです。
まさに自分の置かれている場で遭遇する人々。
しかし、これが簡単にできないんですよね。
嫌というほど思い知らされています。
どうしたらいいんですか?神様!と苦悶する日々です(^^;

「神を愛する」ということ、これは一方的に自分が
神を愛することではないのではないか、と思ったのです。
正直なところ、よく知らない人?存在を
愛することも不可能ですし。
神と人間は天文学的数値以上に隔たりがあるのに
無に等しい人間が偉大な神を愛するなど、
そんな大それたことは想像さえできません。
これは神と愛し合う、いえいえとんでもない、
神から愛されていることを知って感動し、
愛をお返ししたくなるほど喜んでいる
状態から生じる心、ではないかと思いました。
だから神様が自分を愛していることを頭ではなく、
心で知りたいと思います。

そのためには「神様、あなたの愛を知らせて下さい。」
と祈ることも必要かもしれないですね。
神の愛を本当に知れば、喜びに満たされて、
世界が(目が)開けていろんなことが可能になりそうで、
難しいことも幾分容易になるような気がします。
心の中が神の愛で満ちれば、愛に満たされた自分の心は
自然と愛を伝えずにはいられなくなるかもしれない・・・

『心を尽くし、

精神を尽くし、

思いを尽くし、

力を尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。』

このことを
心から求めるためには、神からとても深く愛されていること
をまず知らなければ本当に何も始まらないのでは?
と思いました。
求める心さえ生まれてこないのではないでしょうか。

鈍感になっていて神の愛に気づかない毎日ですが、
さまざまなことの中になんとか神の愛を見つけだし、
喜び、感謝することからスタートしたいです。
そして愛を受け取ったら、今度は自分から小さな愛、親切、
ゆるし…など、困難を感じる人、身近な誰かに
分けてあげられればいいなーと思いました。



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