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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第30主日(B) - 2018/10/27-2018/11/2

2018/10/27 (Sat) 08:22:57

ご訪問ありがとうございます



聖書は神のことばですが、
わたしたちの身近なことに関して
あなたに直接語りかけていることばでもあります。
聖書を本としてではなく自分へのメッセージとして
読んでみませんか
あることばが心の中に差し込んでくる光のように
感じることもあれば、
いったいどういうことだろう?と
疑問に感じることもあります。

キリスト者もそうでない方も
聖書を読んで一緒に分かち合いませんか
一週間の中でご都合の良い時に
自由にご参加ください

他の人の投稿に関しての批判や
議論など一切ありませんのでご安心下さい



今週の投稿期間
10月27日(土)~11月2日(金)

Re: 年間第30主日(B) - duckbill

2018/10/31 (Wed) 12:11:04

聖書と始めて出会ったのは学生時代ですが、それは一つの履修科目としてで、興味もないのにいろんなことを覚えなければならなかったので苦痛でした。
本当に出会ったと言えるのは、その後、頼れるものが何もなくなった切羽詰まった極限状態の時でした。
家族が回復不可能な状態になり、自分自身も死を覚悟しなければならない病気の時です。
その時期どういうわけか毎晩新約聖書を読み始めました。
学生時代には全く響かなかった言葉が特に福音書のイエスの言葉が心の奥に光が差し込むように沁みとおったのです。そして
次から次へと聖書の言葉が脳裏に刻まれ、心に響き、
一気にヨハネの黙示録まで読み終えてしまいました。
その時が聖書との本当の出会いだったと思います。
それから数年後カトリック教会の門を叩き洗礼を受けました。
洗礼を受けた後もわたしにとって聖書は秘跡と共に大きな支えとなっています。


そういうわけで今週の福音書に登場するバルティマイという盲人の話は、自分とオーバーラップして読めた部分がありました。
。盲人は目が見えないので自分の持ち物は自分の傍に置いておかなければ安心できないそうです。
なのに彼は上着を脱ぎ棄ててイエスのところに躍り上がって行きました。
イエスのところに行きさえすれば助けてもらえる、この苦境から脱出できると信じ切っていたからかもしれません。
イエスは躊躇なく受け入れて優しく声をかけました。
本当にイエスは助けを求めて来る人を拒まず、
優しく受け入れ、必ず助けて下さる方ですね。(神に感謝!)

「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
この盲人の話を読むと信仰とは立派でカッコ良いものではなく、
どちらかというとみっともない程必死にイエスにすがること
というイメージだったので、「あなたの信仰が」は
「あなたが私を心底頼ったから」という意味に
とらえることができました。
バルティマイは「行きなさい」と言われても、
自分の願いがかなえられた後も離れて行かず
イエスの後に従うようになりました。
たとえ現世的な救いを求める始まりであったとしても、
イエスから出てくる光は人を引き寄せずにはおられないほどの魅力があって、終に生涯離れられなくなるものなのかもしれません。

本当に救われたい、助けていただきたいという時、
大事なのは一体だれが本当に助けてくれるのかを
知ることではないかと思います。私の場合、
聖書とカトリック教会との出会いが入り口となりましたが、
どこに助けを求めていくのか、真の救い主を見出すことは
難しいことかもしれません。
この世界にはいろんな救い主と思える存在があるからです。

イエスは高く神聖な場所に祭られている神で、
人間の方から万難を排して近づかなければ出会えない
神ではなく、今現在、生きて身近に存在しており、
絶えずご自分から働きかけておられるので、
イエスの存在に気づきさえすれば、あるいはイエスのメッセージを
心の奥で受け止めることができれば、バルティマイのように
イエスの光に引き寄せられていくのではないかな、
と思います。

そう考えると福音宣教とはイエスと出会う手助けをすることなのかもしれないですね…

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