こんにちわ!

KINOKOlogy「聖書の分かち合い」へようこそ!


今週の聖書→ココをクリック



KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

453981

年間第26主日(B) - 2018/9/29-2018/10/5

2018/09/29 (Sat) 09:55:59

ご訪問ありがとうございます


今週の聖書の中から心に響いた箇所を選び
一緒に分かち合いをしませんか
みことばをピックアップするだけでもいいですし、
祈りの中で気づいたことなど
どんなことでも自由に分かちあって下さいね

このページの下に投稿欄があります。
件名はそのままで
お名前欄にご自分のニックネームを記入し、
メッセージ欄に書き込んで下さい。
プレビューにチェックして投稿ボタンを押すと
投稿前にご自分の文章を確認訂正できます。

個人情報の開示も一切不要ですし
勧誘など全くありませんので
どうぞご安心下さい。
また何かご不明な点がありましたら
気軽にツイッター@kinoko_logyか
@k_duckbill にご質問下さい


今週の投稿期間
9月22日(土)~9月28日(金)



Re: 年間第26主日(B) - duckbill

2018/10/05 (Fri) 13:42:43


今週は旧約のヨシュアと新約のヨハネの心に生じた「ねたみ」について考えてみました。

ヨシュアもヨハネもとても良い弟子で妬みとは縁遠いタイプだと思っていたのですが、意外と彼らも妬むことがあったんですね。
何でかな~とちょっと考えてみました。
今週の福音の前のところで弟子たちは少年の悪霊を追い出すことに失敗しています。(マルコ9:17‐20)
ところが今回、名もない一人の男が悪霊を追い出すことに成功しています。
自分にできなかったことを他の人ができたので妬む気持ちが起きたのでしょうか。確かに何であろうと自分にないものを他の人が持っていたりすると妬みが生じやすいですよね。
人間の悲しい性の一つです。
しかしこのような神の業に関することでさえ妬むとは・・・
結局神の業が行われることよりも、それを行う自分のことしか考えていなかったからでしょうか?勘違いも甚だしいのですが、虚栄のため神より自分を優先させるというのは妬みだけではすまないような気もしますが…教会の中でも時々そういうことはあってトラブルの原因になることがあります。神様どうぞ憐れんで下さい・・・

今月はロザリオの月ですが、ロザリオ『光の神秘』第二の黙想はカナの婚礼のシーンです。この中のマリアの言葉「この人(イエス)が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」マリアは誰よりもイエスと深い信頼関係にあったはずです。だからすべてを託していたと思います。水を葡萄酒に変える奇跡を行ったイエス。神におできにならないことはない、と信じていたマリア。神と親しい関係になり神を心から信頼していれば、妬むこともなくなるのではないかと思います。

「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」(フィリピ3:8)
使徒パウロもこのような心境になりました。

もっともっとイエスと親しくなり、深い信頼からくる喜びに満たされて、この世の宝に心が奪われなくなりますように!


名前
件名
メッセージ
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.