年間第13主日(B) - 2018/6/30-2018/7/6
2018/06/30 (Sat) 12:40:37
ご訪問ありがとうございます
所属教会の聖書の分かち合いでは
毎回神父様を入れて10人程集まります。
始めに復活されたイエスに来て下さるように
皆で祈り、聖歌を歌います。そして
その週の福音から心に留まった句か節を選んで発表し
数分間黙想して心に浮かんだことを分かち合っています。
誰かの発表に対してコメントを入れたり
議論はしません。
ただ静かに耳を傾けるだけです。
全員の発表が終わると感謝の祈りを捧げ
聖歌を歌って終了します。
祈りと黙想、聖歌と共に聖書を読み、味わい、
温かい雰囲気の中で分かち合っています。
そのような素晴らしい分かち合いを
ここでもできたらいいだろうな~
と思っていますが、なかなか参加して下さる方が
おられず(;_;)ちょっと残念です。
聖書の解釈や議論の対象とするのではなく
神さまと仲間と一緒に信仰を分かち合い、
それぞれの歩みを互いに受け止め、
温かなひと時を持つことが目的です。
ここでは匿名でもありますし、
気楽にご参加いただければ、と願っています
今週の投稿期間
6月30日(土)~7月8日(金)
Re: 年間第13主日(B) - duckbill
2018/07/06 (Fri) 23:04:56
「生かすためにこそ神は万物をお造りになった。」
ある病院で、作業服を着た中年の男性がタンカーに乗せて
運ばれて来たのを見ました。
横には赤ちゃんをおんぶした若い女性が泣き叫びながら
付き添っていました。
「神様お願いです。お願いです、助けて下さい!」
周りの人目もはばからず泣き叫んでいました。
この場面が心に焼き付いていて忘れることができません。
何とか助からないものかと同情の念が湧き上がりましたが
その場にいた他の人達もきっと同じ思いに駆られていたと思います。
人も動物も皆、「死にたくない。生きたい。」と思っています。
これは本能的な願望ではないかと思います。
神様は生かすためにすべてをお造りになったのだから
当然のことかもしれません。
わたしもあなたもだれもかれも生きる価値があるし
もともと死ぬ運命を背負って造られているわけではない
はずです。でもやがて誰にも「死」は訪れます。
これは恐ろしく悲しく絶望的な現実です。
人生は有限なのだから生きている間はできるだけ
自分の望みを達成し、楽しく生きればいいじゃないか…
と考えます。でも・・・
神様はイエスを通して復活の希望を与えて下さいました。
体も心もボロボロになって死ぬ運命は変えられなくても
再び新しい体が与えられて永遠に生きることができる。
それを示してくださいました。
しかし正直心からこれを信じることは難しいですよね。
ですがまさにこれでしょう?
わたしたちが信じようとしていることは・・・
これこそ喜びの力の源、
消えることのない希望だと思うのです。