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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第10主日 (B) - 2018/6/9-2018/6/15

2018/06/09 (Sat) 13:19:41

ご訪問ありがとうございます


今週の聖書を呼んで
まず心に留まった御言葉を選んでみませんか?
それだけ投稿していただいてもいいですし
それについて祈りながら
心に浮かんできたことや考えたことなども
ありましたらご自由にお書きください。
みなさまのご参加を心からお待ちしております



今週の投稿期間
6月9日(土)~6月15日(金)

Re: 年間第10主日 (B) - duckbill

2018/06/12 (Tue) 14:59:11

今週は「外なる人」「内なる人」について。


「外なる人」というと外見とか表面的な状態で、
「内なる人」は内面をすぐ思い浮かべましたが
ちょっと違うことを考えてみました。

人は誰でも100%綺麗な心ではないですよね。
マリア様のように美しい心ではありません。
大人になるにつれ、歳をとるにつれ
どちらかというとずる賢くなり、欲深く傲慢になり、
利己的で自己中心的になっていきます。
にもかかわらず面白いのは
そういった醜い部分を他人の中に見つけ出し、
あれじゃつまらんな~と人に対して
厳しい判定を下しています。
自分のことは棚にあげて(^_^;)


また好感を持てる人というのは、
表面にはそういった
醜い部分が出ていない人(心の中はわかりません)
であることが多いと思います。
これも自分勝手な判定に基づくものです。
もちろん人によって白と黒の配分は違い
聖人などは限りなく白に近づいた人だ
と思うのですがそれでもやはり
心の中だけは神様だけに見えるもので
私達には判断することができないんじゃないかな~と思います。

今回は「外なる人」も「内なる人」も
実は自分の心の中に両方存在しているのではないか
と考えてみたのです。
「外なる人」とは生まれてこの方
いろいろと身に着けてしまった部分、
自分なりには良いと思っている部分も、
上に書いたような醜い部分も。
「外なる人」とは良くも悪くもいろんな意味で
自分が作り上げた自分ではないかと考えました。
それに対し「内なる人」は
神様がもともとお造りになった部分で、
それをさらに神様が育てあげて下さっている
部分ではないかな~と・・・


こんな経験があります。
凄く苦手な人がいて、
その人にはできるだけ会いたくないし、
話もしたくなかったのですが、
ある時、その人の全く別の面、
神に祈っている姿を垣間見た時、
なぜか涙が出るほど感動してしまい、
立ち込めていた黒雲の重苦しさから
一気に解放されたことがあります。
その人の表がどうであれ、
自分の好き嫌いにかかわらず
心の奥には別の何かが隠されていること、しかも
それはとても神聖な何かだということを
一瞬のうちに感じました。
この経験から
わたしたちには人を裁くことはできないなー
と思い知らされました。

ということは
自分自信さえも裁けないということですよね。
なぜなら
すべての人に「内なる人」があり、
その「内なる人」は
日々神とその「内なる人」だけに分かる次元で
とても美しいものに
変化させられているのかもしれないからです。

自分に対してこのことを意識すれば
本当に自分を愛することができるようになるのでは?と思います。
たとえ自分の目にはつまらなく映っているとしても
もともと神がお造りになった存在であり、
その後も日々完全な美しいものに
造り変えられている自分なのだから、
そういう尊い存在なのだから・・・と考えれば
自分を愛することが
できるようになるのではないでしょうか。


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