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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第6主日(B) - 2018/2/10ー2018/2/16

2018/02/10 (Sat) 22:23:35

ご訪問ありがとうございます


聖書を読み、みことばを味わい、黙想し、祈り・・・
神様があなたに語りかけて下さったことなど
ご一緒に信仰の分かち合いができれば幸いです
どうぞどなたでも気軽にご参加下さい!


今週の投稿期間
2月10日(土)~2月16日(金)


Re: 年間第6主日(B) - duckbill

2018/02/13 (Tue) 21:33:49

当時の社会では重い皮膚病(おもにハンセン病)
はとても恐れられていました。
ユダヤ人の法律によって彼らは社会から疎外されていました。
破れた服を着て髪の毛をだらしなくのばし
「汚れ、汚れ」と叫ばなければならず、
町から外れたところに独り離れて暮さなければなりませんでした。
人から2メートル以上近づくことができず、
誰かがその人の風下にいるなら、50メートル
離れなければならなかったそうです。
祭司にも近づくことができなかったのですが、
この人は助けを求めてイエスに近づいて行きました。
これは明らかに律法に反する行いでした。
しかしイエスもまたこの人に近づき、手を伸ばして触れ、
その人を癒しました。確かにイエスは癒しましたが、
それは病気だけではなくこの人の孤独、寂しさ、絶望、
神から呪われているという思いからも助け出したのです。
これはイエスを通して明らかにされた神の姿です。
「憐れみの父」である神の姿なのです。

祭司の律法からすれば、重い皮膚病の人に触れることによって
イエスも汚れたことになります。
この病人はイエスに近づくことによって律法を破り、
またイエスもこの人に触れることによって律法を破りました。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(2コリント5:21)


「私たちは神に近づくためには良い者でなければならない。」
という福音に反する教えに多くの人が傾きがちです。
これは福音ではなく、言わばファリサイ人達の宗教です。
福音の教えは私たちの状態がどんなものであれ
神に近づくことができるというものです。
私たちの信仰は「こうあらねばならない」
という倫理や警告をはるかに上回るものなのです。
これこそが良いたより、「福音」と言われる所以であり、
「憐れみの父」である神の啓示なのです。

イエスは天の父がどのような方か現すために来られました。
イエスは厳しい道徳の審判者、罪人を非難する人として
振る舞うこともできたでしょう。
ところが実際には失敗者たち、追放された人たちに
手を差し伸べたのです。
イエスは神がどのような方であるかについて
さまざまなたとえ話を用いて説明しました。
イエスは罪人がまだ罪の状態にある時に手を差し伸べました。
苦しむ人に手を差し出して癒したのです。

わたしたちの祈りもとても単純で良いのです。
「主よ、助けて下さい!」マタイ15:25

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今週はお説教から分かち合いをさせていただきました。

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