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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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待降節第2主日(B) - 2017/12/9ー2017/12/15

2017/12/09 (Sat) 14:33:14

こんにちは
ご訪問ありがとうございます。

寒い日が続いていますね
インフルエンザも流行し始めました。
心身とも健やかに過ごされますよう
お祈りいたします。

さて、今週も聖書の分かち合いを続けていきたいと思います。
今週の聖書の中でどこか心に響いたところ、
疑問に思ったところなどありましたか?
どんなことでも気軽にお書き下さい。

今週の聖書はこのページ上の
〔ココをクリック〕から読めます。


聖書の箇所はカトリック教会主日ミサの
朗読箇所(新共同訳聖書)ですが、
他の訳聖書の同じ箇所をお読みになっても結構です。
プロテスタントの方も、他宗教の方も
どなたでも大歓迎です!


今週の投稿期間
12月9日(土)~12月15日(金)

Re: 待降節第2主日(B) - 南国ココナッツ

2017/12/15 (Fri) 21:40:35

主は羊飼いとして群れを養い、

御腕をもって集め

小羊をふところに抱き、

その母を導いて行かれる。

自分にとっては普段から主はこの世ではなくもっと高い違う世界(?)から私たちを見守っている、少し距離があるイメージでしたが、今日のところで考え方が一変しました。
霊的にですが、主は父親のような存在に見えます。
羊飼い(主人)として多くの羊(家族)を養い安全な場所を確保し、敵から守り、食べさせ、安心して休ませます。新たな仲間となる子羊(幼子)を優しく抱き上げ、その母も家族として受け入れ、群れ(家族)を導いて行きます。

主とともにいる家族は平安であり安全であり、心配がありません。完全に主に守られています。
主は遠い存在ではなく、すぐ近くにおられ、いつも見守っている霊的な父親のような存在に思えました。

Re: 待降節第2主日(B) - duckbill

2017/12/15 (Fri) 22:10:29

今週は洗礼者ヨハネについて考えてみました。


洗礼者ヨハネは祭司ザカリアとエリザベトの息子です。
成長した「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、
いなごと野蜜を食べていた。」とあるように厳しく質素な生活をし、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました。
それで多くの人がヨハネのもとに来て罪を告白し、
ヨルダン川で洗礼を受けていました。
ここまで読むとヨハネは苦しい修行を積み、悟りを開いた
仙人?のような印象を受けます。
しかも、人からの信頼と尊敬をあつめ弟子までいたにもかかわらず
イエスに対しては
「わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」
と言っています。
謙遜の鑑というような発言です。

しかし、今回わたしはちょっと違う角度からヨハネを見ました。
もちろんヨハネが謙遜な人だったことは疑う余地もありませんが、
この言葉は謙遜から出てきた言葉だっただろうか?
と思ったのです。
多くの預言者たちが救い主の到来を預言し待っていました。
そして最大の預言者と言われるヨハネもそうです。
しかしヨハネはついに、救い主イエスに直に会うことができたのです。
その喜び、感動がいかに大きいものであったかと想像できます。
目の前にいるのは待ちに待った救い主です!
人となった神、イエスです。それはもう履物のひもを解く値打もない
と言ってもまだ足りないくらいだったんじゃないでしょうか。

ヨハネからは大きな喜びと感動!これを感じます。

マリアがイエスを身ごもっている時に
ヨハネを胎内に宿しているエリザベトを訪問した時、
エリザベトは言いました。

「あなたの挨拶の声が、わたしの耳に入ったとき、
胎内の子が喜び踊りました。」

洗礼者ヨハネは救い主イエスにまみえる栄誉を神からいただき
その一生を通じて喜び踊る魂で生きていたのかもしれない・・・
と黙想しました。

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