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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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待降節第1主日(B) - 2017/12/2ー2017/12/8

2017/12/02 (Sat) 11:59:58

こんにちは

今週から待降節が始まりましたね
クリスマスまで聖書を味わいながら
良い準備ができますように!
こんなこと書いたら変かな?など全く
ご心配無用です。どんなことでも
聖書を読んで考えたこと、思いついたことなど
書いてみてください、お待ちしています


今週の書き込み期間
12月2日(土)~12月8日(金)

Re: 待降節第1主日(B) - duckbill

2017/12/07 (Thu) 14:48:19

「気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、
あなたがたには分からないからである。」


「だから、目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰って来るのか、
夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、
あなたがたには分からないからである。」


「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。
目を覚ましていなさい。」 

「目を覚ましていなさい。」は
短い箇所に3回も繰り返して書かれていました。
気になったのは最後の「すべての人に言うのだ。」
で、それならば自分も含まれていることが分かります。
また『すべての人』に対するメッセージということであれば、
だれもが眠りに陥りやすい状態ということでしょうか。

眠るとはこの世の価値観、常識を頼りに生き、
人間の知恵だけがリアルで真実だと思い込んでいる状態かもしれません。
この世界は競争社会であり、富や権力、名声に価値を置いています。
そんな社会に生まれ、教育を受け、働いているため、
どんな小さなコミュニティであろうと、スケールの大小に関わらず
そういう価値観に影響を受けて生きているように思います。
人を妬み、自分の利益を優先し、利己主義で何が悪いんだ?
当たり前だろ!と開き直り、絶えず比較し、優劣を決め、
勝敗にこだわり・・・様々なことが私たちにとっては当たり前
といった感覚になっています。
一時よく聞いた勝ち組、負け組などという言葉も
そういうところから生まれた言葉だと思います。

一方神の教えや価値観はどこか自分から遠く、
なじみにくいものとして、むしろ非現実的である
と感じているかもしれません。あるいは
神の教えを巷にあふれている概念や本の中の一つに過ぎない
かのように扱い、軽んじている傾向があるかもしれません。

しかし実際には神は存在そのものであり、現に生きておられます。
すべてを造られ、はるかにわたしたちを超え、
わたしたちには未知レベルの偉大な愛そのものである方です。
すべてをつかさどり、導き、生き生きと日々関わってくださる。
その神のことばと教えなのだから・・・
もっと大切に、真剣に受け止めなければいけない、と反省します。

しかし神の教えは、厳格で冷たい律法主義的な道ではなく、
平安の道、喜びの道です。
だからこそ目を覚ましていたいと望んでいます。
そして独りで歩く道ではないから。
聖霊を送って絶えず助けて下さるイエス、いつも執り成して下さる
マリア、すべての天使と聖人たち、そして過去、現在、未来の
教会共同体の兄弟姉妹との交わりが共にある道だからです。

詩編をもとに作られたカトリックの聖歌が浮かんできました。

♪神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び♪

この言葉もよく味わってみると、
一見ストイックな倫理感を謳い上げているように見えますが、
実は神のみ旨を行うことは確かな幸せだと知らされたので
湧き上がってくる喜びを表わさずにはいられない、
という想いが伝わってきました。


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