こんにちわ!

KINOKOlogy「聖書の分かち合い」へようこそ!


今週の聖書→ココをクリック



KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

449601

年間第19主日(A) - 2017/8/12ー2017/8/18

2017/08/12 (Sat) 08:31:13

こんにちは
ご訪問ありがとうございます


今週の聖書を読んでどこか心に響いたところは
あったでしょうか。
どんなことでも自由にお書きください

気軽にご参加くださいね

今週の投稿期間
8月12日(土)~8月18日(金)

Re: 年間第19主日(A) ひるた

2017/08/12 (Sat) 09:28:02


第1朗読(列王記上19・9a、11-13a)に関して

まず、『カトリック聖書新注解書』の列王記上19章の9-14 (節を表す) 神の出現 の箇所を引用してみます。

主の到来は前もって大風、地震、稲妻によって知らされる。しかし、主はこの嵐の中にいなかった。出19:18; 詩18(17):7 以下と比較対照せよ。主の臨在はそよ風の中に感じられた。しかし15-17において、恐るべき命令が下された。

とあります。で、比較対照せよ、といわれた箇所も引用してみます。

出エジプト記19章18節
シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。

詩編18編7節以下(8-16)
主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。
山々の基は震え、揺らぐ。
御怒りに煙は吹き上がり
御口の火は焼き尽くし、炎となって燃えさかる。
主は天を傾けて降り
密雲を足もとに従え
ケルブを駆って飛び
風の翼に乗って行かれる。
周りに闇を置いて隠れがとし
暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。
御前にひらめく光に雲は従い
雹と火の雨が続く。
主は天から雷鳴をとどろかせ
いと高き神は御声をあげられ
雹と火の雨が続く。
主の矢は飛び交い
稲妻は散乱する。
主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し
あなたの怒りの息に世界はその基を示す。

さて、今日の第1朗読にある「激しい風」「地震」「火」などは、すぐ神の「怒り」を連想させます。実際、参照箇所の詩編には直截に「主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く」とか「御怒りに煙は吹き上がり」とか「主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し/あなたの怒りの息に世界はその基を示す」とか、はっきりと「怒り」という言葉が使われています。

では列王記に「激しい風の中に」「地震の中に」「火の中に」主はおられなかったといわれているのはなぜでしょうか。「主の臨在はそよ風の中に感じられた」とはどういうことでしょうか。

「怒り」を感じさせるものの中に神はおられず、「静かにささやく声」のようなものとして神は私たちをお招きになるということでしょうか。つまり「怒り」は本来の神の在り方ではなく、「愛」とか「あわれみ」とか「慈しみ」のようなものが神だと、言っているのでしょうか。

大風や地震や稲妻などによって表されるものは神の前触れであり、その後に聞かれる「静かにささやく声」こそ神の臨在を示すものだと。だからエリヤは、それを聞くと「外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入口に立った」のでしょうか。生気を取り戻して。

フランシスコ会聖書研究所訳の聖書の注によると、「ホレブ山でのエリヤに対する主の出現(8-14節)は、シナイ山でのモーセに対する主の出現(出33・18-23,34・4-7)と並行する」そうです。そこを読むと、34章6-7節にはこう書いてあります。

主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐み深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」出34:6-7 と。

神の怒りがなければ、神の慈しみも分からなかったと思います。怒りは罰すべきものを罰します。しかしそれは幾千代にも及ぶものではありません。せいぜい三代、四代あとの子孫までしか続かない、一時的なものです。神の慈しみこそ永遠です。

主はそよ風のように、静かにささやく声で、私たちを招いておられるのです。

Re: 年間第19主日(A) - duckbill

2017/08/18 (Fri) 09:58:20

エリアは主から
「山の中で主の前に立ちなさい」と言われました。
エリアはこれを聞いて神の登場を待っていたのでしょうか。
しかし、どんな姿でどのように現れるのかわかりません。
激しい風、地震、火といった猛烈な環境の中に
探しても神はおられず、静かなささやき声として
神は現れたと書いてありました。
福音書ではイエスに
「来なさい」と言われたペトロは
イエスのように水の上を歩けましたが、
強い風に気づくと怖くなり沈みかけました。

現実では目に映るもの、将来のこと、
日々の仕事のこと…などが
いつも心を占めているのではないかと思います。
この聖書で言えば
激しい風や地震や火などを見ていることになるかなー
と思います。
確かにこの世界の現実だけを考えていると
怖くなったり、絶望したりすることが多いです。
恐怖や不安の中に神はおられないのでしょうね。
平安、安心をもたらすものこそ神を表しているのかもしれません。

旧約では静かなささやき声とありますが、
福音書ではイエスご自身が神を表しています。
静かなささやき声は心の奥から聞こえてくる
良心の声のように思えます。
良心に耳を傾け従うと、不安が消え心が安定します。
しかし、イエスはただこちらから見て近づこうと、
つまり、努力しようとしていても失敗し
恐怖や絶望に打ちのめされそうになった時には
向こうから積極的に手を差し伸べてくれ、
助けてくれる存在だということが分ります。
本当に最高の神の姿、安心でき信頼できる存在として
現れてくださいました。

今日も、今も、復活したイエスは生きておられ、
絶えずこの現実の中でわたしと関わってくださり、
ピンチの時には必ず助けてくださる!
神に感謝!!


Re: 年間第19主日(A) - 南国ココナッツ

2017/08/19 (Sat) 09:26:28

今週はシナイ山について少し調べてみました。
シナイ山は、シナイ半島にある、モーセが神から十戒を授かったとされる場所でホレブ山とも呼ばれています。(標高2285m) シナイ山の正確な場所は定かではないようですが、ジェベル・ムーサーと呼ばれるシナイ半島南部の山がシナイ山と比定されています。
ですが出エジプト2:15にはモーセはミデヤンの地に住み、3:1には舅であるミデヤンの祭司エトロの羊を飼って、神の山ホレブに来たとあります。このミデヤンの地は、シナイ半島ではなく、アカバ湾の対岸アラビア半島にありますし、パウロも「アラビアにあるシナイ山」(ガラテヤ4:25 フランシスコ会 聖書研究所)と言っています。
ほんとうのシナイ山(ホレブ山)はどこにあるのでしょうか? 今週は感想ではなく疑問を書いてみました。

名前
件名
メッセージ
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.