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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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主の変容(A) - 2017/8/5ー2017/8/11

2017/08/05 (Sat) 09:07:49

ご訪問ありがとうございます


「聖書は、神と人間の絶えざる対話です。それも、
神がその中でますますわたしたちに近づいて
ご自身を示してくださる、継続的な対話です。
(ベネディクト16世)」

今週、神様はあなたにどんなことを
話しかけられましたか?
一緒に分かち合いができればうれしいです
ご参加心よりお待ちしています(^O^)/


今週の投稿期間
8月5日(土)~8月11日(金)

Re: 主の変容(A) ひるた

2017/08/05 (Sat) 14:57:00


第2朗読(Ⅱペトロ1・16~19)に関して

今日はこの朗読箇所が、今ひとつピンと来なくて、件の『カトリック聖書新注解書』をあたった所、「キリストの来臨は確実」という小見出しのもとに分かりやすい叙述があったので、そこからの引用によって分かち合いに替えさせていただきます。

〔16節の注解の抜粋〕
著者は、キリストの来臨が使徒の教えに基づいた伝承であることをほのめかしている。偽教師たちの「巧妙な作り話」と違って、主の来臨に関する使徒的伝承は確実な基礎の上に立っている。ペトロは、主の来臨の前じるしである山上におけるキリストの栄光の目撃者であった。この時と同じ栄光が主の再臨の際に公に現れるであろう。

〔19節の注解の抜粋〕
変容の時の使徒たちの体験は、再臨に関する旧約時代の預言者たちの証言をより確実にする。使徒の教えによって強められた預言の言葉は、読者にとって「暗い所で輝く燈火」、すなわち主の再臨によって終りを告げる現在の暗黒の時代の確実な導き手である。「あけの明星」はキリストである。

以上であるが、「預言の言葉」とは勿論、聖書である。この手紙が書かれた時には確かに現在でいう所の旧約聖書であろうが、現代に生きる私たちにとっては新約聖書も含めた「聖書」と言ってもいいと思う。

私たちは、この「聖書」の言葉を道しるべとして、この暗黒の時代を生き抜いていこう。


Re: 主の変容(A) - ひな

2017/08/06 (Sun) 11:55:10

マタイ17:1-9
で、一番最初に思ったのは
こんな光景に立ち会ったら、私だったら声が出ません。けれど、この箇所のペトロは『仮小屋を建てましょうか?』と言っている。ペトロはもしかして、旧約のモーセの下山シーンにモーセが光り輝いている箇所を小さい頃から聞き育ったので、さらっと受け入れたのかなぁ…とおもいました。

Re: 主の変容(A) - 管理人

2017/08/06 (Sun) 12:04:11

ひなさん、ご投稿ありがとうございました(^^)
初めてのご参加なので記入箇所が分かりずらかったと
思います。今週は「主の変容」のトピック欄へのご記入となっていますのでこちらで変更させていただきました。ご投稿の表示に時間がかかり申訳ありませんでした。これからもご参加お待ちしています。どうぞよろしくお願いします

Re: 主の変容(A) - duckbill

2017/08/09 (Wed) 13:47:31

以前は、イエスを歴史に実在した偉大な人として
見ることはできていたのですが、
正直どうしても神であるという点に関しては
受け入れ難かったのです。
イエスは完全な人であり、
完全な神であるということが
頭では分かっていても心がついてこなかったんですね。
ところが、いつごろからかイエスは神である、と
自分の心が受け入れていることに気づきました。
信仰に関しては勉強して知識や理屈で
理解できることも多いのですが、
理解できたからと言って
心が受け入れることとは別のようです。
どんなにあがいても理屈ではねじ伏せられない
領域が存在するようです。

これは、わたしの中で起きた
主の変容であったと言えるかもしれません。
知識によって知ったのではなく、
イエス自らが現された変容の姿・・・


Re: 主の変容(A) - 南国ココナッツ

2017/08/10 (Thu) 18:46:14

マタイによる福音より
イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。

今週は有名な主の変容ですね。
気づいた点、感じた点が2つあります。まず1つは、
イエス様はモーセとエリアに会われるために弟子3人(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて山に登られました。
今週はマタイによる福音書ですがマタイはこのときイエス様に同行していない事に気がつきました。ですからこの内容はイエス様が復活された後、同行した3人から聞いたものでしょう。不覚にもマタイが見たことを書いているように誤解をしていました。

2つ目は
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆い「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
とあります。
彼らは実際この雲に包まれ、神様の声を聞き、イエス様の変容とモーセ、エリアを目の当たりにしました。それまで凡庸な生活をしていた弟子達はイエス様について行き、信仰生活を共にしていたとはいえ、この光景をどう感じたでしょうか? 大きな大きな衝撃を受けたのではないでしょうか。
実際モーセ、エリアはこの時代すでに亡くなっていますが、なんと現れてイエス様と語り合っています。肉体もあり生の声も聞いたはずです。そして神様の声までも。
このモーセとエリアはイエス様の復活の前兆ではないでしょうか。亡くなったものが肉体をもって見えるかたちで現れたのです。
これらの出来事すべてにさぞ3人の弟子達は驚き、心が高揚し動揺もしてとても正常な心持ちではいられなかったと想像できます。
ですがイエス様は神の子であるとしっかり確信したのではないでしょうか。
私にはこのような出来事がなくてもイエス様を信頼し、イエス様にしっかりついて日々歩んで行きたいと思っています。

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