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KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

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年間第17主日(A) - 2017/7/29ー2017/8/4

2017/07/29 (Sat) 10:18:26

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今週の投稿期間
7月29日(土)~8月4日(金)

Re: 年間第17主日(A) ひるた

2017/07/29 (Sat) 12:31:01


第1朗読より

その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。列王記上3・5

神は分け隔てのない方であるから、ソロモンに言われたことを私たち一人一人にも仰せになるであろう。事実、詩編37の4節に、

  神のうちにあって喜べ、
  神は その人の心の願いを かなえられる。

と言われている。では私は何を願おうか、と考えた。きょうの福音朗読にあるような「天の国」(=「神の国」)を下さいと言おうか。なぜならマタイ福音書6章33節にこうある。

  何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい。
  そうすれば、
  これらのものはみな加えて与えられる。

と。「これらのもの」とは、食べる物、飲む物、着る物など、私たちに必要なもののことである。だから、神の国を一心に求める人は、この世で生きていくために必要なものに至るまで、すべて与えられるのである。

別の角度から見てみると、数多の聖人たちは、あなたご自身、すなわち、主イエス・キリストご自身を下さいと、熱心に祈ったのである。けれど考えてみれば、イエスのおられるところこそ「天の国」ではなかろうか。だから、「天の国を求める」とは、「イエスご自身を求め、イエスご自身のようになる」ということだと思う。

ソロモンは「訴えを正しく聞き分ける知恵を求め」て聞き入れられた。けれど新約の時代に生きる私たちは、何と幸いなことか。



Re: 年間第17主日(A) - duckbill

2017/08/03 (Thu) 10:28:19


福音書を読んで印象に残ったことは「宝物とは?」です。
持ち物をすっかり売り払ってまで手に入れたい程のもの。
と二回も繰り返されています。
それが天の国のたとえです。
自分にとって宝物は何だろう?と考えてみると
多分命が一番の宝なのかもしれません。
それとも愛するだれかなのかもしれません。
それにしても自分の全財産や命を捨ててまでも
手に入れたいと思う宝は余程のものだということが想像できます。

ここでひとつのことが頭に浮かんできました。
それは神にとっての宝物とは?です。
神にとっての宝、高価な真珠は、
あなたであり、わたしではないでしょうか・・・
なぜなら、神=イエスは自分の命を捨ててまで
手に入れようとして下さったから。
神の世界で何かを獲得しようとすることは
自分の欲望を満たすためではなく
愛するためだと思います。
つまり天の国は永遠に愛し合うところだと思うのです。
永遠の愛に憧れて・・・
神にとっての宝がわたしであるように
わたしにとっての宝が神となりますように!



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