年間第16主日(A) - 2017/7/22ー2017/7/28
2017/07/22 (Sat) 09:32:35
こんにちは
ご訪問ありがとうございます
暑い日々が続いていますが
いかがお過ごしですか?
被災された方々、大変な日々が続いていると
思います。心からお祈り申し上げます。
分かち合い、どなたでも
気軽にご参加ください
今週の投稿期間
7月22日(土)~7月28日(金)
Re: 年間第16主日(A) - ひるた
2017/07/22 (Sat) 10:32:26
第1朗読より(知恵の書12・19)
神に従う人は人間への愛を持つべきことを、
あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。
こうして御民に希望を抱かせ、
罪からの回心をお与えになった。
同じ個所を、フランシスコ会聖書研究所訳で併記してみます。
あなたは、これらの業を通して、あなたの民に、
義人は人に親切でなければならないことを教え、
またあなたは、罪を悔い改める恵みが与えられる希望を、
あなたの子らに抱かせた。
これでわかることは、義人とは神に従う人のことであり、神に従う人は人間への愛を持つべきであり、人に親切でなければならない、ということです。
何と心を温めてくれる教えでしょうか。
後半の二行もまたすごい。「あなたはこれらの業を通して」、私たちに、「罪を悔い改める恵みが与えられる希望を」抱かせた、というのです。この希望は裏切られることがありません。つまり私たちは罪からの回心を与えられたも同然だということです。
「私たち」って誰でしょうか。先ず「御民」・イスラエルの民・キリスト者であり、それから「あなたの子ら」、すなわち全人類にも及びます。なぜなら、信じる者もその他の者もみな、神によって形づくられた神の子だからです。神は、ご自分が創造された「人間」への愛を、ご自分の「業」を通して教えられるからです。
その「業」の極みがイエス・キリストの十字架上の死でした。そして全聖書も「神の業」と言えると思います。私たちは旧約も含めた全聖書から、神の愛を知り、学ぶことができるのです。
Re: 年間第16主日(A) - 南国ココナッツ
2017/07/23 (Sun) 09:47:51
(皆さん、”霊”は)弱いわたしたちを助けてくださいます。
わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、
“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって
執り成してくださるからです。
人の心を見抜く方は、
“霊”の思いが何であるかを知っておられます。
“霊”は、神の御心に従って、
聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
私達は祈りの言葉をイエス様から教えてもらいました。ですがどう祈るべきかを知りません。祈りたい時に自分が好む方法で祈っていることでしょう。
この未熟な祈りを霊が執りなしてくださいます。ほんとうに感謝ですね。
人の心を見抜くかた(神様)は霊の思いをご存知ですから、私の祈りが何であるかを知っておられます。
また、霊は神様の御心に従って、とありますから私達に宿っている霊はイエス様の御心がわかっているので、その御心に従って執りなしてくださっています。
そうすると神様は霊の思いをご存知で、霊は私達の祈りがわかっている。
そうなると、くどくどと祈ることは要りませんね。神様は私達が祈る前から霊によって私達の祈り、願いをご存知なのですから。
いつも弱い私達を助けて執りなしてくださる聖霊と神様に感謝します。
Re: 年間第16主日(A) - duckbill
2017/07/25 (Tue) 23:55:30
マタイによる福音書 13章24-43節を読んで・・・
良い種とは神の言葉のことですから、
イエスそのものと言っていいと思います。
種は種のままでは実を結ばないので
一旦姿を消します。
しかし時が経てばいずれ実を結んだ姿に変化して現れます。
ここからイエスが死んで復活したことを想起させられました。
またその恵みがわたしたちにまで及ぶことは
死んで多くの実をむすぶ一粒の麦のたとえの中から
想像できます。
良い種は永遠の命、喜びです。どれほど小さくて見えても
大きな希望がその中に秘められています。
また毒麦は悪魔によって蒔かれたとあるように、
この世界でわたしたちを惑わしています。
たとえば、わたしたちは皆いずれ死んで消え
無になる運命で、一度限りの人生しかないという概念です。
それから派生した結果として
現世的な享楽、思想、この世だけの
幸せを追い求めるようになります。
現実に、個人の利己主義から国家間の争いに至るまで
多くの悪い実を結ばせていると思います。
そうすると人の心の中にある毒麦は抜こうとしても
簡単に抜き取れないほど根を張っているように思えてきます。
しかし良い種はすでに蒔かれているのですから、
たとえ今はからし種のように小さくとも
静かに着々と成長していき
いずれ大きな木となる日がくることを、
また世界の終末に、自分の終わりの時に、
すべての毒麦が抜き取られ
命をもたらす良い麦の喜びが充満する時が訪れることを、
希望を持って待っています。