こんにちわ!

KINOKOlogy「聖書の分かち合い」へようこそ!


今週の聖書→ココをクリック



KINOKOlogy 〈 聖書の分かち合い〉

453045

年間第15主日(A) - 2017/7/15ー2017/7/21

2017/07/15 (Sat) 08:58:45

こんにちは
ご訪問ありがとうございます

聖書を読んで心に響いたこと、
分からなかったこと、黙想したこと、
生活の中で気づいたことなど
どんなことでも自由にお書きくださいね
気軽にご参加ください


今週の投稿期間
7月15日(土)~7月21日(金)

Re: 年間第15主日(A) ひるた

2017/07/15 (Sat) 14:34:01


今日の福音はマタイ13章の「種を蒔く人」のたとえとその説明の部分である。

私はフランツ・ムスナー著『イエズスの教えとたとえ話』上智大学神学部編、南窓社という本を持っているので、この本に4頁に亘って載っている解説の結論部分をまず引用しておきたい。

「このたとえは弟子たちや教会になにを教えているだろうか。それは次のことである。勇気と信頼を持つように。神のことばの種子は、どんな困難にも、どんな抵抗や不成功にもかかわらず、その実を結び、しかも、神の後ろだてによって、種がまかれた土地のことを考えて期待できる実よりも、はるかに豊かな実を結ぶであろう。誤った楽観主義も、誤った悲観主義も見当違いなのである。」

最初に種まく人は勿論イエスご自身である。しかしその後、弟子たちや教会に種まき(福音宣教)が任せられる。だからこの「種まく人」は私たち教会のことでもある。そういう前提に立って上記の解説は書かれていると思う。

つまりどんな困難や抵抗や不成功にあっても、勇気と神への信頼を失うな、悲観してはならない、かと言ってすべて神任せにするな、楽観せず、しかし希望を持って御言葉をまくよう努めよ、ということだろう。

以上であるが、主は第1朗読、イザヤ預言者をとおして、私たちイエスの御言葉を預かった弟子たちや教会を、前以て励ましておられる。

  そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
    むなしくは、わたしのもとに戻らない。
  それはわたしの望むことを成し遂げ
  わたしが与えた使命を必ず果たす。イザヤ55・11


Re: 年間第15主日(A) - duckbill

2017/07/20 (Thu) 11:25:46

以前はマタイによる福音 13章1-23節 の種まきのたとえ話を聞くと、
自分の心は道端だったり、石だらけだったり、土が浅かったり、
と実を結ばないたとえに当てはまるなーと落ち込んで、
試験に失敗して合格できない時のような感覚になっていました。

でも!イザヤの預言55章10-11節には

「わたしの口から出るわたしの言葉も

 むなしくは、わたしのもとに戻らない。

 それはわたしの望むことを成し遂げ

 わたしが与えた使命を必ず果たす。」

と書かれています。
神の言葉は必ず実を結ぶ種のようなものです。
人間の言葉のように後で訂正されたり、フェイドアウトして
しまうようなものではなく、
それが及ぼす力は限りなく無限で永遠に変わりません。
洗礼を受け聖霊の賜物をいただいているなら、なおさら
その人の心は良い土地なのではないか?と思います。
聖霊の栄養を受けてだんだん良い土地になっていき、
神の播かれた種も育っていきます。
初めは分かりずらく受け入れがたかったみ言葉も
だんだん理解でき、実感し、
自分の言動にまで影響を与えていきます。
だから今では希望を感じています。
芽が出ず萎れて枯れてしまうイメージではなく
あふれるほど豊かな実りのイメージがあります。

それと今週のパウロのローマ書 8章18-23節は
特に好きな箇所です。
宇宙万物のすべてが滅びへ向かう運命から解放される日を
共にうめき苦しみながら待っている、というイメージが
すごく好きです。


Re: 年間第15主日(A) - kinoko

2017/07/21 (Fri) 23:08:55

今回は、大好きな箇所と、小さい時からドキドキしながら読んでいた箇所があって、盛りだくさん!
な、朗読箇所でした。

まず、パッと思ったのは、
「その日、イエスは家を出て、
 湖のほとりに座っておられた。」
という箇所。
ちょっと想像してみると、とても爽やかな印象を受けました。
私の勝手な設定としては、
ある休日の朝で、家から湖まではそんなに遠くなく、
朝の気持ちのいい時間帯に、穏やかな時間が流れる中
ゆったりと歩いて湖まで行って、そのほとりに座って
何を見てたんでしょうね、何を考えていたんでしょう。
青空に浮かぶ雲が湖面に反射している様や
湖面のさざ波を見ながら
やさしいそよ風を肌に感じて…
お祈りしてらしたんでしょうか。
そんな時に、大勢の群衆が集まってくる…。
舟に乗ったんですよね~。
弟子たちと一緒に舟に乗ってそこから話始める。
もし自分が映画監督でこのシーンを撮影するとしたら、
群衆がざわざわと集まってくる様子の中、
イエス様はどのような表情で、どのように舟に乗るかな~
と、想像してみました。
群衆が近寄ってくる様子を遠目に見て弟子たちに準備させて
早めに舟に乗って湖の中で待っていたのか、
群衆が近寄って来た時に、『ここでちょっと待ってて』と言って舟に乗り込んだのか、
あるいは、何も言わず、近寄ってきた群衆に見つめられる中
黙って舟に乗り込んだのか、
いろいろ想像できますが、どんなパターンにしても、きっと
その日、その時に、その場所でイエス様が講演をなさる、
なんて広告は出されていなかっただろうと思うんですね。
(あくまで勝手な想像ですが)
だけど、イエス様があそこにいる!っていう噂が広まって
人々は、イエス様の話が聴けるかも!行ってみよう!!って期待して
(私も毎週ミサに行く時に、見習いたい気持ちですが…汗)
それで、ぞろぞろと集まってきたんじゃないかな~と
想像してみました。
そんな中、群衆をおいて舟に乗ったイエス様はきっと
観客が次のセリフや行動を期待して見守る中、舞台の上で動き回る
役者さながらのようだったんじゃないのかな~と(笑)

そのみんなの期待に応えてお話されたのが、コレですもんね。

私は小さい時、自分がどれに当てはまるのか、
真剣に考えたことがあります。
当時の自分としては、まず
「道端」ではないだろうな~と。
「石だらけ」う~ん、あやしい。これになってる気がする(>_<)。。。と。
「茨」なんとなく分かる気がするけど、そんなことってあるのかな~、と。
「良い土地」これだったらいいな~!こんな風にならないかな~~~、と。
漠然と、でも子供なりに真剣に自分がどれに当てはまるのか
考えていました。
しかし、現在改めて考えてみると、
「石だらけ」ベースの「茨」時々、という感じがします。
「良い土地」になれたら楽なんだろうな~と思いますが
そうなれるように、聖霊のお導きを願いたいです!

でも、第1朗読で言われているように、(私の好きな箇所)
『わたしの口から出るわたしの言葉も
 むなしくは、わたしのもとに戻らない。
 それはわたしの望むことを成し遂げ
 わたしが与えた使命を必ず果たす。』
ということですから、きっと「良い土地」になって
神様の近くにいけるはず(^o^)
そしてもって、神様と一緒に、気持ちの良い湖のほとりで
美味しいものをたくさん食べたいな~なんて思いました(*^o^*)

名前
件名
メッセージ
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.