復活節第2主日(A) - 2017/4/22ー2017/4/28
2017/04/22 (Sat) 09:36:17
こんにちは
ご訪問ありがとうございます
一人でも多くの方とご一緒に
聖書を味わい分かち合えればと思います。
カトリックだけではなくプロテスタントの方も
また他宗教の方もどうぞ気軽にご参加下さい
今週の投稿期間
4月22日(土)~4月28日(金)
Re: 復活節第2主日(A) - ひるた
2017/04/24 (Mon) 12:04:48
第2朗読 使徒ペトロの手紙 より
あなたがたは、
終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、
神の力により、
信仰によって守られています。Ⅰペトロ1・5
信仰は賜物です。だから私たちは神の力で守られているのです。それは信仰によってわかります。私たちに与えられた信仰によって、私たちが神の力で守られていることがわかるのです。
終わりの時に、約束された魂の救いを受けるために、守られているのです。いろいろな試練があるでしょうが、信仰はいよいよ確かなものになります。そしてそれは実ります。魂が救われるのです。
魂の救いが約束されています。キリストを愛し、信じているからです。
誰も何事もキリストの愛から私たちを引き離すことはできません。
私たちの「命であるキリストが現れるとき」私たちも「キリストと共に栄光に包まれて現れる」のです。
Re: 復活節第2主日(A) - duckbill
2017/04/27 (Thu) 17:54:37
私たちクリスチャンの信仰は知識ではないと思います。
確かに知識は助けになりますけど。。
でもいくら知識を積んだところでやはりそれで
信仰を生み出すことはできない、ということは
何か事が起こった時にハッキリ分かります。
信仰を与えてくださるのは神様ですが
いつどのように信仰が深まっていくのか、
今週は考えてみました。
最近よく思うのは信仰があるふりをするのは
どうか?ということです。
けっこう正直さがなくなってくるんですよね。
知識をつけたり、長年教会に所属していると
自分の信仰が深くなったかのような錯覚を持ってしまいます。
バチカンの説教師として有名な神父様のお説教をちょっと引用します。
「求められているのは、アダムのように過ちを犯した後に隠れないことのみです。義とされる必要性があることを認識し、自分で正当化をしないことです。
譬え話の徴税人は神殿に上り、短い祈りをしました。『あぁ、神さま、罪びとのわたしをあわれんで下さい』と。そしてイエスはこの人こそが『義とされて』家に帰ったと言います。つまり、正しい者となった、ゆるされた、新しい被造物となった、ということです。きっとその心に喜びあふれる歌が生まれたでしょう(ルカ18章14節参照)。
何かすごいことをしたのでしょうか?何もしていません。真理において神の前に身を置いただけです。そしてこれが神に必要な唯一の行為なのです。」
神の前に身を置く・・・
これは正直に自分のすべてを神の前に
さらけだすことですよね。
これが一番大事なことで必要なことだと言われています。
その時こそ自分の心が神の心に触れる瞬間だと感じます。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
と、 信じなかったトマスにイエスは自分の傷に触れさせてこのようにおっしゃいました。
トマスのようにイエスに触れる時、心が神と触れ合う時、その時こそ信じる者にしていただける時なのではないかと思いました。